盃に触れる前の「唇」——正月のいちばん静かな艶
正月の空気を変えるのは、派手なお酒じゃなく“儀式”かもしれない。お屠蘇は酔うためというより、盃が回る順番や所作で場を整える飲み物だ。唇が縁に触れる、その一瞬の艶が、年のはじまりに静かな緊張を連れてくる。
お屠蘇のエロティックさは、酔いではなく“直前”にある。盃が手元に回ってきて、会話がひと呼吸だけ止まる。唇は、言葉を終わらせる場所であり、これから何かを受け取る入口でもある。ほんの少し湿り気を帯びた輪郭が、器の縁を待つ。その一瞬が、正月の空気をきれいに引き締める。

口をつける作法がつくる、艶のルール
お屠蘇は「順番」と「所作」が決まっているからこそ、艶が暴れない。誰が先に口をつけ、どのくらいで戻すのか。盃は小さいから、触れる時間は短いのに、印象は濃い。
縁に触れる唇は、キスのように長くは続かない。その“短さ”が逆に、余韻を強くする。エロティックなのは行為ではなく、制限の中で生まれる緊張と整いだ。

同じ盃を回す=距離が縮む、その「許された近さ」
盃が回るたびに、場の距離がわずかに変わる。誰かが触れた縁に、次の人の唇が重なる。その事実は、過激ではないのに、妙に生々しい。
けれど正月の儀式は、それを“清め”の側へ引き戻してくれる。共有は官能ではなく、親密さの輪郭をつくるための仕組み。お屠蘇は、その輪郭をいちばん静かに浮かび上がらせる。
お屠蘇は味よりも、盃の縁に触れる唇がつくる“静かな艶”で、年のはじまりを整える。














