今はなき本郷の幻のホテル──文化人とお葉が行き交った菊富士ホテル

明治・大正の文化人が利用した宿の流れの中にあった菊富士ホテル

明治から昭和初期にかけて、文化人たちは特定のホテルや旅館を拠点に長期滞在することがありました。
箱根の富士屋ホテルや三河屋旅館、伊豆の温泉地にある宿などは、その代表例としてよく知られています。
こうした宿は、単なる宿泊施設ではなく、生活と創作、交流が重なり合う場でもありました。

東京にも、同じような役割を担っていた宿があります。
それが、文京区本郷にあった菊富士ホテルです。
現在は建物が失われ、街の中に石碑だけが残るこのホテルは、
かつて多くの文化人が利用していた、今はなき“幻のホテル”でした。

高級ホテルではなく、下宿と宿泊施設のあいだのような存在

菊富士ホテルは、格式や豪華さを売りにするホテルではありませんでした。
性格としては、旅館や下宿に近く、長期滞在が可能な宿泊施設だったといわれています。
部屋にこもって過ごすこともでき、利用者の生活や制作のリズムに干渉しすぎない、自由度の高い環境がありました。

大学や出版社、書店が集まる本郷という立地もあり、
文化活動の拠点として使いやすかったことが、多くの文化人に選ばれた理由のひとつです。
菊富士ホテルは、本郷という街の性格を映した宿だったと言えるでしょう。

竹久夢二や谷崎潤一郎らが行き交った文化人の拠点

菊富士ホテルには、多くの文化人が滞在していたことが、石碑や資料から確認されています。
実名として挙げられる人物には、
竹久夢二、谷崎潤一郎、坂口安吾、尾崎士郎などがいます。

また、竹久夢二と関係の深かったお葉も、
この界隈を行き来していた人物として知られています。

利用の仕方はさまざまで、
原稿執筆のために長く滞在する人、
編集者や知人と会う拠点として使う人、
地方から上京した際の仮の住まいとして利用する人もいました。
菊富士ホテルは、文化人たちの日常が交差する場所でした。

石碑を起点に、失われた文化の記憶をたどる

菊富士ホテルは、第二次世界大戦の東京空襲によって焼失し、戦後に再建されることはありませんでした。
現在、建物そのものは存在しませんが、
跡地には菊富士ホテルがここにあったことを示す石碑が残されています。

周辺を歩くと、坂や路地、大学や寺院などが今も混在し、
明治・大正期から続く本郷の街の骨格を感じることができます。
菊富士ホテル跡は、
失われた東京の文化を想像するための静かな起点として、今も街の中に残っています。

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