ヘマトフィリアとは?――「血」に惹かれる性的嗜好
ヘマトフィリアは、英語で hematophilia / hematolagnia とも書かれ、ざっくり言うと「血液フェチ」を指す言葉です。
この嗜好では、赤くにじむ血の色や、肌についた血の跡、あるいは血が関わる場面そのものが、どこかエロティックな意味を帯びて感じられます。ホラー映画のワンシーンや吸血鬼が誰かの首筋に口づける瞬間など、血が象徴的に扱われる映像表現に特別な魅力を見いだす人もいます。血は「恐怖」や「痛み」と結びつきやすい一方で、「生々しさ」や「生命力」を強く感じさせるモチーフでもあり、その両義性がヘマトフィリアという嗜好の根っこにあります。
歴史的背景――血とエロスのモチーフ
ヘマトフィリアという言葉が生まれるよりずっと前から、血は宗教・神話・芸術の中で、特別な意味を持つシンボルとして扱われてきました。祭礼や儀式における「いけにえ」や「殉教」の物語では、流れる血が、神への忠誠や完全な献身を表現するために描かれます。血は同時に「生きている証」であり、「失われると死に至るもの」でもあるため、見る者の感情を強く揺さぶるモチーフでした。
19世紀以降の吸血鬼文学や、その後の映画作品では、血を吸う行為がしばしば誘惑や支配、官能のメタファーとして描かれます。白い肌を流れる鮮やかな血の色は、そのまま欲望の象徴として機能し、純粋さと背徳感、恐怖と快感が入り混じったイメージを作り上げていきました。
こうした表現が積み重なるなかで、「血に惹かれる」という感覚がフェティシズムの一種として意識されるようになり、性科学や心理学の言葉としてヘマトフィリアやヘマトラグニアといった用語が整えられていきます。つまり、ヘマトフィリアは突然どこかから現れた概念ではなく、長い文化史の中で培われてきた「血とエロス」の結びつきが、近代以降に名前を与えられたものだといえます。
ヘマトフィリアを扱った映画作品
ヘマトフィリアという言葉そのものが前面に出てくる作品は多くありませんが、「血に惹かれること」や「血と欲望が絡み合う感覚」をテーマにした作品はいくつか存在します。ここでは、モチーフとして血液フェチ的な感覚が読み取れる代表的な作品を挙げてみます。
『Dacryphilia + Hematolagnia』(2019・短編)
- 監督:Shane Ryan
- タイトルにあるように、「涙フェチ(Dacryphilia)」と「血への嗜好(Hematolagnia)」という二つのフェティシズムを並べた実験的短編。
- 涙と血、どちらも身体からこぼれ落ちるものをめぐって、痛み・快楽・自己イメージが揺れる様子を、言葉少なめの映像で見せていきます。
フェチそのものを説明するというより、極端な嗜好を通して“自分とは何か”を覗き込むような視線が強い作品です。

『Immoral Tales(インモラル・テイルズ)』(1973)
- 監督:Walerian Borowczyk
- 4つのエピソードからなるオムニバス映画。
- うち一編では、血と欲望が強く結びついたエピソードがあり、宗教的モチーフと官能のイメージを重ねた作風から、「bloodlust(血への渇望)」がテーマの一つとして語られることがあります。
アート映画寄りの作品なので、物語というよりも、血と肉体をめぐる寓話的なイメージの連続として楽しむタイプの一本です。

見られない方はこちら:https://youtu.be/IqXgbOxN_X4?si=JTyJUe5Z4jUrnmJ2
血というシンボルをどう読むか
ヘマトフィリア(血液フェチ)は、血や血のイメージにエロティックな意味を見いだす嗜好であり、その背景には、宗教や神話、文学、映画といった長い文化の歴史の中で育まれてきた「血とエロス」の結びつきがあります。血は、生命の象徴であると同時に、傷つくことや喪失を連想させる強いシンボルであり、その両極端な意味が、フェティシズムとしての魅力を支えているともいえます。
ヘマトフィリアをめぐる文化表現――たとえば「Dacryphilia + Hematolagnia」や『Immoral Tales』のような作品――をたどっていくと、人が血に何を見てきたのか、どんな欲望や感情をそこに映し出してきたのかが、少しずつ立ち上がってきます。血というモチーフをきっかけに、「生と死」「聖と俗」「恐怖と官能」といったテーマがどのように交錯しているのかを眺めてみると、ヘマトフィリアは単なる特殊な嗜好ではなく、人間の深層を照らすひとつのレンズとも見えるかもしれません。





















