氷の歯と口腔器具に支配された、悪夢みたいなダークファンタジー
『イヤーウィグ/氷の⻭を持つ少女』は、ポスト戦後ヨーロッパのどこかを舞台にした、静かで不穏なダークファンタジーです。監督は『エコール』『エヴォリューション』のルシール・アザリロヴィックで、物語のわかりやすい説明よりも、薄暗い室内の空気や湿った静寂、じりじりと積み重なる違和感を見せることに重きが置かれています。いわゆるホラーと言うより、アート寄りの心理ホラー/幻想映画といった雰囲気です。
この作品を強く特徴づけているのが、「氷の歯」と口腔まわりの器具の存在です。少女ミアの口元にはガラスのカプセルのような装置が取りつけられ、そこへ溶けた氷の歯と唾液が滴り落ち、男がそれを集めて再び凍らせ、“歯”として挿し直します。その反復的な手順が、淡々としていながらどこか儀式めいて描かれていきます。開口具や口枷を思わせる口元のビジュアル、ガラスや金属の冷たい質感、無機質な医療器具の気配が画面を支配していて、開口具フェチや医療器具フェチ、口まわりフェチの人にはかなり刺さりそうな世界観になっています。
会話は少なく、説明もほとんどありません。観客は、なぜミアが氷の歯を必要としているのか、なぜアルバートはその世話だけをして暮らしているのか、このアパートの外側の世界で何が起こっているのかを、断片的な映像から推測していくことになります。ストーリーを追う映画というより、“奇妙な生活のディテール”と“身体と器具の関係”を眺め続ける映画という印象に近いかもしれません。
氷の歯を作り続ける男と、外を知らない少女
物語の中心にいるのは、中年の男アルバートと、氷の歯を持つ少女ミアの二人です。20世紀半ばのヨーロッパらしき街の一角にある暗いアパートの一室で、二人はほとんど外界と切り離された生活を送っています。窓はカーテンや雨戸で閉ざされ、外の光はわずかに漏れる程度。ミアは学校にも通わず、友達もおらず、その部屋だけを世界のすべてのようにして暮らしています。
ミアには、生まれつき「普通の歯」がありません。アルバートの一日は、ほとんど彼女の口元のケアに費やされます。頬にぶら下がったガラスのカプセルには、溶けた氷の歯と唾液がたまっており、アルバートはそれを慎重に取り外して装置に流し込み、再び凍らせ、透明な小さな義歯として成形します。そしてミアの口をそっと開き、丁寧に差し込む。その一連の行為は医療行為のようでもあり、同時に、彼だけが知る秘密の儀式のようでもあります。ミアの身体と器具がつながっている時間こそが、この家の日常として当たり前のものになっています。


アルバートは、定期的にかかってくる電話に応じて、「ミアは元気です」と誰かに報告します。電話の向こうの相手は最後まで姿を見せず、その関係は曖昧なままです。ただ、アルバートが自分の意思でミアと暮らしているというより、どこかの誰かから与えられた“役目”を淡々とこなしているだけなのではないか、という空気が常につきまといます。
ある日、その電話の内容が変わります。「子どもを外に出す準備をしろ」という指示が告げられ、静かな日常に小さなひびが入ります。その頃から、酒場で働く女性セレステや、彼女に関わる青年ローレンスといった外の世界の人々が、物語の周縁に姿を見せ始めます。アルバートの頭の中には、過去の出来事とも悪夢ともつかない映像が断片的に差し込まれ、現実と記憶、夢と妄想の境目が少しずつ溶けていきます。
なぜミアは氷の歯なのか。アルバートは何に怯え、何に罪悪感を抱いているのか。セレステとローレンスは、ミアとアルバートの閉ざされた世界とどう結びついているのか。はっきりとした答えは提示されませんが、氷の歯、口腔器具、溶けては凍る水分、冷たいガラス、湿った室内といったモチーフが絡み合い、観客の中で徐々にひとつの物語を形作っていきます。
口元フェチ・医療器具フェチが、静かにざわつく一本
『イヤーウィグ/氷の⻭を持つ少女』は、はっきりした種明かしやカタルシスを求める人には、かなり取っつきにくい作品かもしれません。説明は少なく、テンポもゆっくりで、「これはいったい何を意味しているんだろう?」という問いが、最後まで完全には解消されないまま残ります。その一方で、氷の義歯やガラスのカプセル、口を固定するような器具、無表情な男の手つきが、一本の長い悪夢のようにつながり、身体が器具によって管理され、支配される感覚をじわじわと見せつけてきます。
とくに、開口具や医療器具、口の中を触られる感覚にフェティッシュな魅力を感じる人にとって、この映画はかなり特別な一本になりそうです。口の中をいじられる恐怖と興奮、冷たい素材が唇や粘膜に触れるイメージ、器具を通して身体がコントロールされるという構図に、妙な心地よさを見出してしまう人には、「ここまで口元と器具を中心に据える映画があるのか」と驚かされるはずです。


フェティッシュな視点がなくても、「意味はうまく言葉にできないのに、なぜか忘れられない奇妙な映画」として心に残る力があります。氷の歯が溶けて滴る音、ガラスや金属が微かに軋む気配、閉ざされた部屋の息苦しい空気。そうした感覚的な要素に、罪悪感や執着、親密さと支配が絡み合い、観終わったあともしばらく、作品の余韻が頭のどこかを占め続けるような一本です。





















