名前が与えられた恐怖と執着──『恐怖症偏執症辞典』とは何か
『恐怖症偏執症辞典』は、人間が抱いてきた無数の恐怖や偏執的な思考・行動に「名前」を与え、淡々と収集した辞典形式の書籍だ。高所恐怖症や対人恐怖症のようなよく知られたものだけでなく、「特定の物を見るのが怖い」「ある状態でなければ耐えられない」といった、きわめて細分化された感情や衝動までもが一項目として並ぶ。その姿は診断書というより、人間の心の癖を分類した標本箱に近い。読者はページをめくるたびに、自分が名前を知らなかっただけの感情や、他人には理解されにくい感覚が、確かに昔から存在していたことを知ることになる。

正しさよりも面白さ──この辞典の読みどころ
本書に収録されている用語の多くは、現代の精神医学で正式に使われている診断名ではない。語源もギリシャ語やラテン語を基にした造語や、古い文献に一度だけ登場した言葉などが混ざっている。しかし、だからこそこの辞典は魅力的だ。科学的に正しいかどうかよりも、「人はそこまで細かく怖がり、そこまで強く執着してきたのか」という想像力を刺激してくる。言葉の響きそのものも美しく、奇妙で、ときに笑ってしまうほど過剰だ。理屈ではなく感覚として、人間の不安や執着の多様さを味わえる点に、この本ならではの価値がある。
【登場する症例の一部】
人を不快にさせる感触――毛皮恐怖症、原綿恐怖症、集合体恐怖症etc.
人々を駆り立てる集団的熱狂――悪魔憑き、ビートルマニア、富豪狂etc.
動物に対する恐怖――蛙恐怖症、猫恐怖症、蜘蛛恐怖症etc.
強迫的な偏執――計算癖、色情症、放火狂、殺人狂etc.
飲食物に対する嫌悪――卵恐怖症、ポップコーン恐怖症etc.

フェティッシュと地続きの心の地図
恐怖症と偏執症は、必ずしもネガティブなものとして終わらない。ある恐怖が興奮に転じたり、嫌悪が執着へと変質したりすることは珍しくない。『恐怖症偏執症辞典』を読んでいると、恐怖・嫌悪・執着・快感が、実は同じ地図の上に並んでいることが見えてくる。その意味で、この本はフェティッシュ文化や倒錯表現に関心のある読者とも非常に相性がいい。自分の嗜好を説明するための言葉を探す本というより、「人間の心はもともとこんなにも歪で豊かだった」と確認するための一冊。正常と異常の境界を曖昧にしながら、人間そのものの面白さを静かに突きつけてくる辞典だ。























